お玉を水平にしたら生地が切れるけん、さっと持ってくると。
意外とでくっとよ。
蒲生 | |
廣松宝来堂 |
「廣松宝来堂」2代目の兄・澄人さんと妹の祥子さん
巷では兄と妹の絆を描いた「鬼滅の刃」が大きな支持を集めていますが、柳川でも二人にも負けない兄妹が絶メシならぬ、“絶ガシ”を作り続けていることをご存知でしょうか?
そもそも絶メシ店は親子で続いてきたお店がほとんど。どこも竈門家の如く家族の絆は強いのですが、今回お伺いした和菓子「廣松宝来堂」も先代のお父様を子ども達みんなで手伝っていたとか。今では5人兄弟の4番目の廣松澄人さんと末っ子の祥子さんが2代目としてお店を切り盛りしています。
先代は和菓子の名店で厳しい修業の後に独立されたと聞いています。その流れを受け継いで、今も厳格に製法を守られているのかしら…なんて思っていたら、澄人さんがひょうひょうと「先代とはガラッと変わったね。売れ残ったらロスになるやろ」ですって。
創業時からの看板商品「千代香」の横には、素朴な饅頭や大福、ラスクなど珍しい商品も並んでいます。幅広いツボを突いてくるラインナップは、どこから生まれたのでしょうか?まずは柳川の名菓が作られている厨房をのぞいてみましょう!
取材/絶メシ調査隊 ライター/大内理加
「廣松宝来堂」の引き戸をガラガラと開けると、すでに澄人さんは銅板に火を入れてスタンバイ中。お話を聞く前に、作る工程を見せていただけるようです。
用意されている生地は、先代のお父様が開発した「千代香(ちよか)」に使うもの。どら焼きのような生地を片面だけ焼いて、あんを包んだお菓子です。
熱伝導がいい銅板は創業時から使っている。一面に丸い焼き跡がついている
生地は直径10cmほどの丸い形に焼くのですが、見回しても型らしきものはありません。一枚の銅板の上に、ひょいひょいひょいとおたまで生地を落とすだけ。軽く伸ばすと、均等な楕円が15個並びました。
流れるような手さばきに見とれていると、「してみる?」と澄人さん。
おそるおそるお玉を握ってみると、さらりとした生地はいつまでも垂れ続けて、銅板に運ぶことさえできません。ぎ、ギブアップです!
お手製のお玉で生地をすくう。底が浅くて、傾けるととたんに液が垂れてしまう
お玉を水平にしたら生地が切れるけん、さっと持ってくると。
意外とでくっとよ。
いやいや、難しいですよ〜。回転焼きみたいに型があるわけではないから、同じ形、大きさで焼くのもかなりの技術が必要です。
ほい、熱かうちに食べて。
そう言って渡されたのは、焼きたての皮!ちょっぴり熱いまま口に入れると、フワッとした食感とほのかな甘さが広がります。厚さは約5mmと決して厚くはないのに、まるでパンケーキのようにふんわり。端っこはカリッとした食感です。
お菓子はやっぱり甘かほうがよかやん。
だけん、うちのお菓子は“割り”の効いとるとよ。
“割り”って何ですか?
砂糖のことね。粉と砂糖の割合が1対1.2で砂糖が多いと。
最近は甘さ控えめが流行っとるって言うやない?うちは逆やね。
でも、甘ったるい感じは全然無いですよね。
優しい味わいでホッとします。
生地の片面がほどよく焼けると、焦げないように素早くあんこを丸めてのせていきます。皮を半分に折ってあんこを包めば千代香が完成!
「廣松宝来堂」では、自家製のあんを使っていますが、こちらも“割り”多めなのだとか。黒あんよりも、甘さが強い白あんの方がおすすめなんですって。
熱した鉄板の上で湯気を立てる皮を素手でつまむ澄人さん。本人は涼しい顔だが見ているこちらがハラハラしてしまう
まろやかな白あんと皮、どちらの甘さもしっかり感じますが、不思議と重たさはない。絶妙な塩梅です。少し苦い緑茶があれば、いくつでも食べられます!
皮は少し時間が経つとモチッとした食感に変わるんですね。生地にも秘密があるんですか?
うちは朝倉と八女の小麦粉、いわゆる“地粉”ば使いよると。大手製粉メーカーの粉よりもクセがあるっちゃんね。香りはもちろん、粘りがあってさ。高価やし扱いにくいけど、食感がいいやろ。うちは一番 目の細かいふるいを使ってサラサラにして使うとよ。
それで空気を含んでふんわり焼けるんですね!プロならではのこだわりがここにも。難しい生地をあんなに手早くさばけるなんて、これぞ職人芸ですね。
気に入らんこともしょっちゅうよ。生地は毎日違うと。
粉と砂糖と卵だけ、シンプルな素材だけに難しいですよね。
澄人さんは、なんと25分で千代香90個を作る
でもね、病気してからはまだ本調子じゃないとよね。
頸椎から出血して、しばらく入院しとったけん、まだ感覚の戻っとらんと。
大きな病気を克服されたんですね。
リハビリされていたんですか?
菓子づくりがリハビリみたいなもんやね。
年末に店が忙しくなるけん、退院させてもらったとよ。
え〜!!まだ退院されて2ヶ月も経ってないですよね!?
澄人さんは何気なく話していますが、
血腫があと数センチずれていたら全身麻痺で動けなくなっていたそうです。
よく年末に退院できましたね。
それは自分でも思う。気力よね。
暮れは忙しかけん、“自分がせやん(やらねば)“ってね。
そんなお兄さんを支え、入院中は一人で切り盛りしていた妹の祥子さんもまた小さい頃から家を手伝っていたそうです。創業してからのお話を聞いてみました。
私が澄人さんにお話をお聞きしている裏側で、カメラマンとディレクターに厨房内を説明してくれていた祥子さん。その手元は、これまた機械顔負けのスピードで「千代香」を包装しています。澄人さんによると、包装機より早いとのこと。
こちらの「千代香」というお菓子は、先代から作っていらっしゃるんですよね。
長崎にも似たお菓子があるようですが、何か関係があるんですか?
父は長崎におったけん、そこからじゃないかね。
福岡に来て中洲の「宝来屋」に弟子入りしとったとよ。
鶏卵素麺で有名なお店だったんですよね。今は閉店されていると聞いています。柳川でもいくつかのお店が「千代香」を出していますが、皆さん「宝来屋」さんと関係があるんですか?
いや、それは無いよ。うちは80年ほど前から千代香を作ってるけど、教えたりはしてないね。
そんなに歴史があるんですね!すごい!確かにお店ごとにあんの中身や包み方も違いますもんね。
あっ!この写真に写っているのが先代のお父様ですね。
若き日の先代の写真。澄人さんと祥子さんもどことなく目元が似ている
10代の時に弟子入りしてね。
最初は卵の黄身と白身を分ける仕事をしとったらしい。
寒い時は手がかじかんで冷たかったって、よう聞いてたね。
先代は当時の福岡の中心地で技術を学んだのち、故郷である柳川で和菓子店を開業。
観光スポットの多いエリアからは少し離れた場所なので、買いに来るのは地元のお客さんがほとんど。自然と地域密着型のサービスを始めていたそうです。
パンをパン会社から仕入れて、自社製品の和菓子と一緒に仲卸しする仕事を始めたとよ。ふとかトラックが入らん個人店にうちが車で持っていきよったと。
父は長崎で被爆して体調が悪いこともようあったけん、母が車ば運転してね。
当時(昭和35年)、女性で免許持っとったのはほとんどおらんやったとよ。
パッケージの「千代香」の文字は、お母様が書いたもの。思い出は今も息づいている
お母様はずっとお店を支えていらしたんですね。
ご兄弟でもお手伝いをされていたそうですが、どなたが後を継ぐとか決まっていたんですか?
そこまでは考えとらんやったけど、子どもの頃から手伝うのは当たり前やったね。
夏休みは、ちょうど「葛まんじゅう」の時期でね。
大きいボールいっぱいにくずを作って、あんこを包むやろ。
その後にラジオ体操に行って、帰ってきた頃には蒸しあがっとるわけ。
それを葉っぱに取って製品化するとかね。
すごい!お手伝いのレベルを超えています。
ちなみに、兄弟一緒で喧嘩なんてしなかったんですか?
私は生意気やったけん、喧嘩はしよったね。
“年上をなめんな〜”って言われたら、“汚いけん舐められるか〜”ってね(笑)
「話はあとにして、焼きたてば食べんね」
ちょ、まだお聞きしたいことが…。いただきますけれども。パクッ。う、うま〜い!!
2代目になってからの「廣松宝来堂」は、澄人さんと祥子さんのお二人で成り立っているんですよね。澄人さんが倒れた時は大変だったでしょう?
緊急搬送される前は、右半身が全く動かんごとなっとったけんね。本当に心配したよ。
でも、お店は閉められんけん。できることだけ全部やったと。千代香も自分で作ってね。
意外に製造力があるけんね。
「千代香」や焼き菓子は特に時間との勝負。澄人さんが作業に集中できるように、祥子さんは次に使う道具を準備したり、粉を混ぜたり、包装したりと先を見越して動きます。少しでもタイミングがずれると流れが止まってしまうため、あうんの呼吸が必須。兄妹の絆があってこその連携プレーです。
大病を経験して再び厨房に立つ澄人さん。このタイミングで少し聞きにくいのですが、後継者についてはどう考えているのでしょうか?
う〜ん、もう私までやね。
今のような状況が続くなら、生活も楽じゃないもんね。
それは寂しい。もしそうなったら惜しむ人はたくさんいるはずです。
澄人さんが先代からお店を継いだ時は、どんな感じだったんですか?
技術は一切教えてもらってないね。全部見て覚えたとよ。
手順が違っとったら、その場で注意されとった。
お父様もちゃんと気にかけていらしたんですね。
職人としての技術をしっかりと身につけたからこそ、いろんなアイデアが浮かんできたのでしょうか。
いや、売れるもんはね、作る側よりもお客さんの方が詳しかとよ。
例えば、今は値が張る生菓子は特別な時しか食べんやろ?
ちょうどいい値段はお客さんとの話からヒントをもらいよる。
自分の好みで作ったっちゃいかん。売れる商品を作ることが大事よ。
なるほど。こちらのお菓子は和菓子というよりも、
気軽にいただける“おやつ”に近いかもしれないなぁ。
そうそう。これくらいの規模やけんさ、
伝統や格式なんて構えてする仕事じゃないと思ってる。
千代香をはじめ、ほとんどが100円前後とかなりお手頃。お客さんにも安さを心配されるそう
だからといって、作り方や素材に妥協しないのは職人の心意気だと思います。
澄人さんは職人と商人の感覚をどちらも持っていらっしゃるイメージ。
商品といえば、どうしてラスクを作っていらっしゃるんですか?
うちは朝パン食やけん、パンを焼いてみようと思って。
保存しやすいようにラスクにしたと。
フットワークが軽いなあ。
パッケージの「筑後七国」というのは?
「筑後七国」シリーズの代表格、地元の小麦粉を使った饅頭「七国彩菓」は、柚子餡にドライフルーツを入れた和洋折衷なお菓子。紅茶やコーヒーにも合う
福岡ソフトバンクホークスが来る時に、地元で何かできんかなと思ってね。いくつかお菓子を考えたと。このシールも自分で作ったとよ。このまま商工会で採用されたね。
ホークスの2・3軍の球場「HAWKSベースボールパーク筑後」ですね。2016年に柳川のお隣・筑後市にオープンしましたが、筑後エリア一帯を盛り上げようと大将も尽力されていたとは。ビジネスマンですね。しかも、パソコンでシールのデザインまで作っちゃうとは恐れ入りました!
大将はプライベートでもカメラや無線など、メカニックな趣味をたしなんでいるそう。
もちろん、製菓の機械にもこだわりがあります。毎年「モバックショウ(国際製パン製菓関連産業展)」という製菓の展示会に行っては、厨房用の機械を研究しているんですって。そういえば、厨房で包装機やベーカリー用のオーブンを動かしていました。
オーブンでは饅頭やラスクを焼く。外から焼き加減を見るのぞき穴は煤でほとんど見えないが勘でわかるそう
お客さんのためなら病気を克服してお店を開く気構えもあり、時代を見る目もあり、新しいものにも物怖じせず受け入れている。大将は本当に頭が柔らかいんですね。
もうドロドロよ(笑)
そんな(笑)兄妹お二人とも、ぜひお元気で続けていただきたいです。
いつか「廣松宝来堂」を継ぎたいという人が名乗り出ても不思議はないと思うのですが。
世の中の状況が変わって、希望が出てきたらね。
技術は店をしよる内に身につくよ。本当に難しいごとなかっちゃもん。
軽く言っちゃうんだから(笑)
商売人と菓子職人の気質を併せ持つハイブリッドな澄人さん。誰よりも早くチームの動きを読んで先回りする妹の祥子さん。
お二人の仕事への姿勢は、どんな時代、どんな職業にも必要とされるものです。特に「いつかは自分のお店を出したい」と考えている人にとって学ぶことが多いのではないでしょうか。二人の呼吸を受け継いでくれる方がいつか手をあげてくれたらいいな。2個目の千代香をほおばりながら、そう願うばかりです。
絶メシ店によっては、日によって営業時間が前後したり、定休日以外もお休みしたりすることもございます。
そんな時でも温かく見守っていただき、また別の機会に足をお運びいただけますと幸いです。