改めてよろしくお願いします! 今回、取材を担当するライターの山田です。製麺所も父から受け継いで営んでいます。
大和町 | |
七福ラーメン |
ラーメンを啜ろうとしているドラゴンの看板が国道208号線沿いにひょっこり現れた。その横には大きく漢字二文字で「七福」と記されている。屋号は「七福ラーメン」。2022年1月で創業から半世紀を迎えた柳川きっての老舗ラーメン店だ。国道沿いであることに加え、有明海沿岸道路の徳益ICからも近く、九州自動車道のみやま柳川ICへ向かう際に通る国道443号線にもアクセスしやすい。「ここに店を出したのは平成7年なんです。それまではずっと柳川市内の中心地で営業していました」と笑顔で教えてくれたのは中島憲治さん。七福ラーメンの2代目にあたる。ところで、ラーメン店に「龍」「竜」という文字が付く店は全国的にも多く、それらの店の看板には決まってドラゴンのイラストが描かれている。ん、この七福ラーメンの看板にもなぜかドラゴンの姿が?
取材/絶メシ調査隊 ライター/山田祐一郎(KIJI)
「何年待たすっと?!マジで!」と言っているわけではない。とても気さくで、笑顔が素敵な2代目・中島憲治さん。素敵な笑顔はこの後、すぐ!
「遅かったね! たいがい待ちくたびれたよ!」と2代目・中島憲治さんが店に迎え入れてくれた。「ん?」とぼくの頭の斜め後ろらへんにクエスチョンマークが浮かび上がる。ポケットからiPhoneを取り出すと只今の時刻は13:55だ。取材の約束は14:00からなので、遅かったどころか、早く着いたのだが。
そんなことを思っていたら、中島さんが畳み掛けてきた。「絶メシの取材やろ。他の人にも聞いとったけど、なんでうちに取材が来んとやろって、ずっと思っとったったい。知った人の店はどんどん紹介されようとに。うちさ、今年で創業から丸50年になるとに、立派な老舗やろ。うちに絶メシの話が来んのは何かの間違いやなかかなっち、家族ともそう言いよったんよ。いやあ、やっと来てくれたとね。嬉しかねえ」。
!!!
そうだったのか! 我らが絶メシの取材を心待ちしてくれていたのか。なんというありがたいお言葉。取材前だし、まだなんのお涙エピソードも伺っていないんだけど、すでに感動でちょっと泣きそう。
カウンターの上にはレトロなメニュー表とともに初代・治さんの釣果が誇らしげに飾ってある。こういう店主の趣味嗜好が前面に出ているお店、大好物です!
さて、気を取り直して。
改めてよろしくお願いします! 今回、取材を担当するライターの山田です。製麺所も父から受け継いで営んでいます。
あら、どこで? え、そう、宗像市ね。それは遥々遠いところからありがとうね。こちらこそ、よろしくお願いします。
さっそくですが、屋号の由来からお聞きしたくて。なんで七福なんですか?
それが、実は特に明確な理由もないみたいでね。父親がなんとなく縁起が良さそうという感じで名前を付けたみたいなんよね。
結構、適当にやっちゃったんですね。あ、でも、ほら。
見て、この美味しそうにラーメンを啜っているドラゴン。気になってしょうがない。この伏線を回収しないと、先には進めないんだからねっ!
ぼくはスッと入口あたりを指さした。冒頭でも触れたように、そこには美味しそうにラーメンを啜っているドラゴンが描かれた大きな看板がある。
なんで看板、ドラゴンなんですか? 元々、「七竜」「七龍軒」という名前だったとか?
それがずっと七福なんよ。本当は七福ラーメンという屋号やから、先代は看板に七福神のキャラクターを描いてもらおうと思っとったみたいなんやけど。
普通だったら、そうですよね。
看板屋さんが『ラーメン屋って言ったらドラゴンやろ!』って勝手に龍のイラストに仕上げたみたいでさ。先代も『まあ、よか』って。そんなに気にすることもなく、今に至っとるんよね。
ドラゴンと七福神、明らかに全く別な気がするけど、ま、まあ、本人が気にしないなら、それはもう、オールオッケーですね。なんという大らかさ!
実はその大らかな性格こそ、脈々と受け継がれてきた七福ラーメンの歴史を支える根幹だったのだと、ぼくは取材後、思い知ることになる。
2022年2月1日現在の店内の様子。現在、リニューアルを計画されているため、記事が公開される頃には改装工事を終えて、生まれ変わっているかも?
冒頭で憲治さんが教えてくれたように、七福ラーメンは今年で創業から50周年。その第一歩は現在の地とは異なり、柳川市内の中心地だった。創業者は、憲治さんの父である治さん。御年80歳で、バリバリの現役。今も厨房に入って中華鍋を振るい、憲治さんの調理をサポートしている。その治さんがラーメンづくりを習ったのが、今は無き久留米市内のラーメン店だった。
初代店主・治さん。憲治さんの大らか精神はこの方から見事に遺伝されたようだ。会話するだけで癒される・・・
その店はもう無くなってしまったんですが、久留米にあった「光栄軒」っていうラーメン店で修業したんですよ。昭和40年代のことですね。この店は祖母の弟、だから親父からみると叔父にあたる人物が営んでいたんです。
それは修業の場としては打ってつけの環境ですね。そもそもなんでラーメンを?
親父がラーメンに惹かれたきっかけというのが、幼い頃、映画の後に食べたラーメンがおいしかった!という記憶からなんよね。当時といえばうどん、蕎麦しかなかった時代やから。ラーメンのような、コッテリした、パンチのある味に夢中になったみたいね。
なるほど、その味が忘れられないという話なんですね。ドラマだなあ。
ただ、うちの父は何年か働きには行ったんやけどさ、レシピみたいなものをちゃんと教わったわけじゃなかったんよね。
おやおや、雲行きが怪しくなってきたぞ。
最終的に父は「まあ、なんとなく分かったけん、俺にもラーメンが作れるやろ」って、それで店を構えちゃったんです。
えー!(絶句)
こうして勢い一つで誕生した「七福ラーメン」における柳川の創業店。詳しい住所をいうと、柳川市細工町22番地に店を構えていたそうだ。そして、そこはカウンター6席だけの小さな店だったという。メニューは大きく、ラーメンとホルモンの2品だけ。開業はしたものの、店が軌道に乗るまでには、少し時間が掛かってしまう。
開店当初を振り返り、苦笑い連発の憲治さん。今が美味しいので、オールオッケーです!
まあ、ラーメンの味がね(苦笑)
ええ、そうですよね、勢いだけで店を構えちゃったから。
正直、開店当初は全然美味しくなかったみたいなんよね。ただ、それを見かねて、アドバイスをくれた人物がおるんです。それが「三九」の四ケ所さん。父が柳川で店を始めるにあたり、麺は修業先でも使っていた「三九」さんのところから仕入れとったんよ。
「三九」といえば、白濁した豚骨スープが誕生した歴史的な名店じゃないですか! 本当だったら透き通った状態のスープを取りたかったのに、スープの番をしていたおばあちゃんがうっかり火にかけすぎてしまって白く濁ってしまって。だけど味見をしてみたらおいしかったので、そのスープを使ったら、あれよあれよと人気を呼んで、今や白濁豚骨スープこそが福岡の豚骨ラーメンにおけるスタンダードになったんですからね。失礼しました、思いがけないビッグネームに興奮しちゃって。それで、そのご縁もあってラーメンづくりのアドバイスをもらったんですか。
そうそう。スープに使う材料のヒントをくれたりさ、スープの取り方を教えてくれたりね、終いにはスープ釜の組み方まで、本当にいろいろ教わったみたいね。
三九さんから仕入れている細ストレート麺。切刃番手※28くらいで、いわゆる博多でスタンダードな細さ。この細さ(イコール茹で時間が短くて済む)があるからこそ、替玉にも柔軟に対応できるのだ。※麺の太さの規格
七福ラーメンでは、久留米ならではのスープづくりの製法を取り入れている。それが2つの羽釜(はがま)を使った呼び戻しの手法だ。厨房の一番奥に、耐火レンガでしっかりと組み上げられた土台があり、そこに羽釜という大きな鍋が2つ並ぶ。これらがスープを取るための釜で、ここで大量のスープをとった後、営業中に使いやすいよう、調理スペースに据えられた小さめのスープ釜に一部を移して使っている。
整然と双子のように並ぶスープ用の羽釜。毎日火を入れないとスープがダメになってしまうため、憲治さんはほぼ休みが取れない。まさに人生を削って生み出される美味しさなのだ。
実際、どんな風にスープをとっているのか、差し支えない範囲で教えてもらえますか。
両方の釜のスープを同時に使っているわけじゃないんよね。2つの釜には新旧があって、新しいスープを炊いている釜でとった出汁を古いほうの釜でとっているスープに合わせる。つまりミックスさせとるんよ。
古いというと語弊があるけど、つまり2つの釜で炊いているスープには時間差があって、先に火を入れたほうがベースになって、そっちに後から炊いたスープを加えていく、ということですね。
そうそう。古いスープが入っている釜にも骨が入っとって、そっちの骨から「もうこれ以上、出汁が出らんかな」と思ったタイミングで新旧を入れ替えるんよ。古い釜のほうの骨を捨てて、また新しい骨から出汁をとる。そしたら今度はそっちの釜が新しい釜になるとよね。
「スープの番は基本的におれだけたいね。いつ、スープの骨を入れて、どれくらい煮込んだか、おれ以外、正確に把握できんけん、しょんなかたい」
そうやって両方の釜をフル稼働してスープをとっているんですね。
例えばさ、一個の釜でスープをとるとなったら、良くも悪くもブレがでるやろ。豚にも個性があるから、大きいのもおれば、小さいのもおる。うちは豚の頭の骨だけしか使わんのやけど、個体差があると、スープの出方に差が出るっちゃんね。釜を2つ使うことで薄いなと思えば濃くなるようにスープを足すということができるから、味が均一になるとよ。
そして、スープもコクが凝縮しておいしくなる、と。くうう、これはおいしそう。
写真上が新しい釜でとったスープ。そして写真下が憲治さん曰く「古い釜」のスープ。スープを足して、どんどん凝縮させた結果、古い釜のほうは見るからにストロングなスープになっていた。
取材中も耐火レンガの奥では、ゴーゴーと燃え上がる炎が揺らめく。特に暖房をつけているわけではなさそうだが、極寒の2月の取材にもかかわらず、厨房内はあったかい。真夏は逆に大変そうだ。
耐火レンガを上手く組み上げることで、火の力が余すところなくスープに伝わっている。
強火で煮出したストロングな豚骨スープに、三九製麺の細麺を合わせるのが七福流。完成したラーメンを見てみると、普段見ているそれと比べてちょっと違和感がある。
紅ショウガがトレードマークの七福流ラーメン。豚骨のおいしそうなフレーバーが丼から広がっていきます。
あれ、紅ショウガが最初からのっているんですね。珍しいなあ。
そうやろ、これはうちがまだ出前メインだった頃の名残でね。配達でラーメンば持って行く時、あらかじめ紅ショウガとコショウを入れとったんよね。それで、今もうちのラーメンには最初から紅ショウガがのっとると。うちの歴史やけん、お客さんから最初から無しにしてほしいと言われない限り、のせるとよ。
これがあるから七福さんらしいラーメンになるんですね。それはもう、抜きにはできないな。
う、うまい。取材を忘れて、本気で替玉コールしそうになった。
ということで早速、出来上がったラーメンを食べてみた。まずはスープから、レンゲにすくってずずっと。
わあ、おいしい! スープの出汁はしっかり効いているんですが、決して脂っこいということではなくって、力強いのにスイスイいけちゃいますね。口当たりもまろやか。豚骨らしい甘みがあって、感激です。
このスープが魅せる! 返し(醤油ダレのこと)が効かせてあり、やや甘口な九州系の味付けが後を引きます。
豚骨一本、余計なもんば入れんスープやけんね。一度、試しに鶏ガラを合わせてみたことがあったんやけど、鶏の主張が強く感じて、使うのをやめたんよ。長く豚骨だけでやってきたから、ちょっとでも別の要素が入ると、過敏に反応するっちゃろうね。
このままかぶりつきたくなるブロック状のチャーシューたち。粗熱をとりつつ、厨房内で待機中。
このチャーシューも美味しいなあ。厨房で紐に巻きつけて仕込んでありましたね。しっかり味が染みていて、たまんないです。ん、それは?
これね、ラーメンと並んで人気がある名物の「ホルモン」よ。ほら、熱いうちに早よ食べてみて。
こちらがラーメンと双璧を成す名物・ホルモン。ハツのコリッと感とともに伝わってくるタマネギ、ネギのシャキッと感も最高のアクセント。
ホルモンといえば、先代が開店当初からラーメンとホルモンだけで営業していたという、レジェンド的最古参メニューではないか。見るからに食欲をそそるツヤツヤのフェイス。そして立ちのぼるニンニクと、なんだかほんのり甘酸っぱい香りもするぞ。
中華鍋で手早くホルモンを調理中。通し営業のため、ランチ難民にも熱々を用意してくれるのが最高。
この酸味のあるフルーティな香り。これってもしやウスターソースですかね。
そうなんよ、うちのホルモンはニンニクやらを放り込んで黒コショウばかけて一気に炒めたあと、皿に盛り付けて、仕上げにウスターソースをたらりと回しかけるったい。ご飯にも抜群に合うとよ。
確かに、これは米がマストな料理ですね。あるいはビールかな。このソースが本当に秀逸。味わいが複雑になるし、なによりクセになる。
そうやろ。ご飯とのセットは評判で、何度もホルモンの取材が来たんよ。もしかしたらホルモンのほうがラーメンよりも有名かもしれん。わはは。
来店時にはぜひレジ上をチェック。創業当時から続く、七福ラーメンの歴史が大切に飾ってありますよ。
ラーメン店なのに、それを許すのもまた大らかさ、ということか。創業当時からあるということは、ホルモンもまた修業先で学んだ思い入れのある一品なんだろうなあ。
いやー、実はホルモンの料理自体は修業先にあったっちゃけど、主役になるホルモンの部位が違うとよ。修業先はタンやったみたいやけど、親父は“ハツ”に変えてね。
おおお、メインの肉を変えるとなれば、味付けから合わせる野菜まで、それこそ全部、考え直さないといけない大変なやつじゃないですか。
ところが親父は「まあ、ハツでもよかろ」ってね。全然、おおごとに考えてなかったみたいよ。
出た、治さんお得意の「よかろ」だ。大らかさが過ぎる。でももう驚きませんよ。この大らかさこそが七福らしさですからね!
ラーメンとホルモン以外にも人気メニューがまだまだたくさんある。実はこちらの写真に写っている「チャンポン」も常連客たちに好評を博している隠れた名物。
ラーメン、ホルモンをきれいに平げ、心地よい満腹感の中、再び、憲治さんと思い出話に戻った。創業のお店は三九の四ケ所さんのおかげでラーメンの味が格段に良くなり、徐々に常連客が増えて手狭になる。4年くらい経ってから道路向かいに移転した。店は少しだけ広くなり、一直線だったカウンター席はL字に。その後、店はどんどん忙しくなり、およそ10年後にカウンターの店からテーブル席主体の店へとリニューアルを果たす。そして平成7年(1995)に現在の場所へと移転する。
出前時代にフル稼働していた岡持。味が出まくっててかっこいい。何に使うか分からないけど、とりあえず、自宅にほしい。
最後の移転については駐車場の問題たい。すっかり車社会になったやろ。街の中心部でそりゃあ便利は良かったけど、駐車場がないと来られるお客さんが限られるったい。そんな立地もあってここに移転してくる以前の店は出前が9割!
わお、ほぼ出前じゃないですか。
ランチだけが出前じゃなかよ。朝から晩まで出前たい。朝は役場の注文分を用意して、その役場だけでも注文が多かけん、フロアで分けて時間差で持って行きよった。それが終わったら正午くらいにかけて、法務局とか役場以外の御得意さんを回ると。一息つく間もなく、夕方からの配達用の食器が足らんくなるけん、お昼の出前分の食器を回収して、夕方以降の注文に備える。朝は仕込みと同時に夜に出前した分の食器を取りに回って、お昼の注文に間に合わせる。
ひえー、全然休めない。
得意先以外の出前はしなくなった現在でも、結構な皿の枚数がある。当時を想像するだけで恐ろしい。
創業から50年を迎え、現在、店舗の内装リニューアルが進行している。この昭和の空気が息づいた店内の風景も、この記事が出る頃にはちょっと変化しているのかもしれない。新しい店に生まれ変わるという話を聞いて、「七福ラーメン」のこの先の未来についても聞いてみた。
トイレはこちらです、と言っているわけではない。すみません、憲治さんがあまりに良いキャラなので、こんなキャプションばかり、頭に浮かんじゃいます!
憲治さんで2代目ですけど、3代目のご予定はあるんですか?
それが全然。うちの子供たちは2人とも女の子やし、ぼくの兄弟には弟と妹がおるけどね。今のところは跡を継ぐ考えはないみたいよ。(チラッ)
チラッ。一度目。
そうですか、せっかくの老舗だから、この味を守ってほしいなあ。ラーメン店をしたいというお婿さん、大募集ですね!
そうやね、まあ、こればっかりはぼくがどんなに継いでほしいと思っても、相手の気持ちあってのことやけん。無理強いはできんもん。(チラッ)
チラッ。二度目。
後継問題に対しても大らかな心持ちで臨んでいるんですねえ。ところで、さっきから気になっていたんですが、ずっと何かチラチラ見ているかと思ったら、時計か。すいません、取材の時間が少し長く掛かっちゃいましたね。
いやさ、この後、ちょっと予定があってね。道場に行かんといかんのよ。
取材中、ずっと目に入っていたはずなのに、特に気に留めることのなかった右斜め上のポスター。なるほど、館長さんだったのですね。と同時に、空手の師範代と分かり、これまでの失言を猛烈に反省するライター山田の後頭部をライブでお届けします。
実は中島さんは中学校の時に沖縄小林流空手の門を叩き、この道30年以上という大ベテラン。師範となり、店の近くに「沖縄小林流空手重礼館中島道場」を構え、今や館長を務めているのだ。取材日がちょうど練習日の火曜だったこともあり、その時間を気にしていたのだという。
そう聞いて中島さんを見ると、隙がないというか、只者ではない空気がビンビンと伝わってきます。
空手は良いですよ。山田さんもやってみます? 実際、店の後継ぎ問題よりも、どうやって道場の門下生を増やすかというほうが悩ましいっちゃんね。
またまた、ご冗談を。
ん、結構、本気よ。
結構、本気よ。
中島さんの目が結構マジだったので、これ以上、軽口は叩けないと判断し、ちょっと話題をそらしてみた。
ところで、ラーメンづくりをやっていて、空手に役立ったこととかありますか。
全く無かね。
おっと、一刀両断。そう来たか。では逆に空手をやっていて、ラーメンに生きていることってあります?
それはある。合理合法・共存共栄、これがうちの流派の教えの根本にあるっちゃけど、それが全てたいね。店をやっていく中でも指針にしとる。
空手があってこそのラーメンということなのか。空手を続けてきたからこそ、ラーメン店の暖簾も守ってこれた、ということなんでしょうね。
それは本当にそうやね。そうやな、空手をやってて良かったといえば、酔っ払いに絡まれても全然怖くないってところかな。
うわあ、一見、温和そうに見える大将だけど、知らずに絡んだら大変なことになるぞ。
まあ、それは冗談として、自分だけではいかんということよね。共存共栄の精神で、支え合っていかないかん。おっと、それじゃ、そろそろ時間やけん。
憲治さんのこの屈託のない笑顔もまた、七福ラーメンの名物だよなあ。(急に褒め始める山田)
こうして取材は強制終了。というのは少し話を盛っているが、中島さんのソワソワぶりが気になって仕方がなくなってしまったので、ここで我々取材陣も帰ることに。
創業半世紀という暖簾は果たして重いのか。中島さんと話していると、その重責を感じているようには思えなかった。それはもしかしたら、空手の心得があるからなのかもしれない。武術には護身術という側面がある。有事の際に、自身を、そして大切な人を守る。空手はそのための“備え”。備えがあるからこそ、デーンと構えていられる。大らかさとは、しなやかさ。そして大らかさとは、強さ。治さんから憲治さんへと受け継がれた大らかな心の在り方が、七福の看板を、しなやかに、強く、支えている。
最後にこれだけは記しておきたい。求む、婿養子、求む、門下生!
中島家のみなさん。本当に良い笑顔!治さんとおばあちゃん、いつまでもお元気で。
絶メシ店によっては、日によって営業時間が前後したり、定休日以外もお休みしたりすることもございます。
そんな時でも温かく見守っていただき、また別の機会に足をお運びいただけますと幸いです。