「メニューがかなり厳選されているので、ストイックなお店を想像していたんですが、全く違いました。すごくアットホームですね」
稲荷町 | |
喜よし食堂 |
堂々と店を構えているのに、目立たない。「喜よし食堂」は、柳川名物・川下りの終着点である沖端地区の水路沿いにある。なぜ目立たないかというと、この界隈には柳川を代表するご当地グルメ、鰻料理の専門店が集まっているからだ。観光客が足を向けるそれら店は、建物そのものが大きかったり、看板もキャッチーだったり、とにかく存在感がある。一方で「喜よし食堂」は、暖簾に書かれた屋号がその存在を伝えるのみ。とても控えめだ。がしかし、昼時になれば地元客で店内はいっぱいになり、ちゃんぽんをかき込むのだという。柳川のど真ん中でちゃんぽん? その真実を確かめるべく、いざ、暖簾の向こうへ。
取材/絶メシ調査隊 ライター/山田祐一郎(KIJI)
メニューの厳選ぶりに相反する招き猫の充実ぶりにも注目
店の入口右手にお品書きが置かれている。それも結構大きく。ざっくりまとめると、ちゃんぽん、うどん、ご飯ものという、とても厳選されたラインナップである。なるほど、確かにこうやって表にメニューを出しておけば、「鰻、食べられますか?」といったミスマッチが未然に防げる。それはつまり、この先に進む人は、ちゃんぽん、うどんもしくはそば、ご飯を食べるという断固たる意志を持っているということだ。
とても控えめな店構え。それゆえにちゃんぽん、うどんの暖簾が目立つ。
鼻息荒く店に入ると、ちょうどお昼時が終わったタイミングだったこともあり、ご主人と思しき男性と、女性が二人、食事をとっていた。「あら、早かったね」と笑顔を見せた男性が店主・古賀穂弦(ほづる)さん。続けて「今日は取材があるやろ。早めに閉めたとよ。ちょっとだけ待っとって。すぐ食べるけんね」と言う。あっという間に古賀さんのペースに巻き込まれ、ぼくら取材陣はすっかりクールダウンした。勝手に柳川名物の鰻を断固として置かない、頑固を地でいく食堂というイメージができあがっていたが、なんだか親戚の家に来たかのようなほっこりした気分になる。
一度は閉店を考えるも、常連客のために奮起し、再び店を再開した古賀さん。
「メニューがかなり厳選されているので、ストイックなお店を想像していたんですが、全く違いました。すごくアットホームですね」
「古か店やけん落ち着くやろ。もう60年くらいになるよ。自分たち夫婦が切り盛りするようになって40年くらい経っとるかな」
「どんな経緯でこの食堂が生まれたんですか」
「元々は亡き妻の母親が開いた店なんよ。義父に先立たれた義母が生きていくために仕事をせんといかんくなったときに、いろいろとやってみたそうなんやけど、最終的に食堂に行き着いたそうやね」
「波乱万丈の物語があったのですね」
「料理は自己流やったみたいやね。俺も妻から聞いた話やけん、そげん詳しく知らんのやけど、開業した当初は客入りが厳しかったみたい。それでも、子供を食わせないかんから、四の五の言ってられん。お客さんが残した料理があれば、それをちょっと食べてみて、何がいかんのやったか考え続けとったらしい。そうやって少しずつ、味を向上させていきよったそうよ」
「喜よし食堂」の誕生にドラマあり。そこで改めて当初から気になっていた、 “食堂”と謳ってある割にメニューがかなり絞り込まれていることについて、その理由を訪ねてみることに。
「メニューがかなり絞られているように思うのですが、元々、これくらいだったんですか」
「いやいや、いまのメニューは妻が亡くなって、俺が店をやるようになってからやね。ちょっと待ってね」
そう言って厨房の奥に消えていった古賀さん。しばらくすると、右手に一枚の紙を持って戻ってきた。
かつてのメニュー。今残っていたら食べてみたい料理ばかり。
「これがね、メニューを絞る前の品書き。昔はもっと定食類なんかが豊富やったみたいよ。これでも今に比べると、かなり幅広いメニューやろ」
「うどん、ちゃんぽん、ご飯類は今と変わりませんが、チキンライス、焼きめし、カレーライス、オムライスにカツカレー、牛丼やカツ丼なんかもありますね。かなりそそります」
「本当はね、妻が亡くなった時に店も畳もうかと思っとったんよ。やけど、お得意さんたちが、この店の料理が食べたい、店を続けてほしいというもんやから、暖簾は下ろせんよね」
「みなさんに愛されていたんですね」
店はテーブル主体で、小上がりもある。使い込まれたテーブル、イスがレトロ好きにはたまらない。
「そうは言っても、流石に以前のメニューをそっくりそのまま残して、調理をさばくのは無理やけん、不動の看板メニューやったちゃんぽん、そして同じ出汁を使っとったうどんに特化して、営業を再開したと。本当はオムライスも切望されたんやけどね。どうしても難しかった」
「ファンが多かったんですね」
「そうそう、幻のオムライスって言われとった。調理に手が掛かるけん、繁忙時はお断りしとったんよ。食べたくても食べれない、食べられればラッキー、そんなメニューやった」
「そう聞くと食べたくなりますねえ。くうう」
古賀さん夫妻が丁寧に掃除しながら、長年使い込んできた厨房。この光景だけでグッとくる。
「じゃあ、ちょっと話はこの辺にして食べてみらんね」と古賀さんに促され、名物のちゃんぽんをいただくことにした。その調理工程は、ぼくが知るちゃんぽんのそれと大きく異なる。工程が多いのだ。企業秘密の部分もあるため、ここで詳細をお伝えすることはできないが、そのダイジェスト版をお届けする。
出汁こそ、喜よし食堂の命!その取り方はちょっと変わっていた。
「まず、スープのベースは何になりますか」
「うちは和風の出汁よ。いりこと昆布が主体やね。いりこと昆布をしっかり水出しして、2度グラグラ沸騰させて、煮出しよる」
「2回も! それはかなり濃密な出汁になりそうですね」
「うちでは“2度炊き”って言いよる。いりこを踊らせるように、火を入れるんよ。うどんにもちゃんぽんにも同じ出汁を使うとるけん、これが良い味にならんと、全てが狂う。毎朝の日課が出汁の味見。その具合で醤油やらの味付けを微調整しよるよ」
「なるほど。店の命のようなものですね」
「火を通すのはサッとね」という古賀さん。調理がかなりテンポよく進んでいくため、カメラマンの額に汗が滲みまくった。
「調理はまず、キャベツやニンジン、タマネギといった野菜をラードで炒める。砂糖や塩、コショウも適量加えてね。炒めるといってもそんなに火は入れんよ。サッとやるだけ。そこに出汁を加えるんやけど、うちではラードが溶け込んだスープを少しだけ残しておいて、そのラード入りスープを調味料のような感覚で、ブレンドさせよる。そうすることでコクを出すんよね」
「出汁にラード入りスープを合わせるのか。ラーメンで言うところの、W(ダブル)スープみたいなものなのかな。まさにひと手間ですね」
「スーパーで買うと安かとにねえ」と苦笑いしながら、やや高級な麺を丼に移す。ちなみにうどんも同じ八女の製麺所から仕入れる。
「そして麺を入れる。麺は八女のほうから仕入れよる。ちょっと高かとやけど、茹でのびにくくて、最後まで食感が良いんよね。麺を入れてからもそんなに煮込まんよ」
ここで鍋にもやしを入れて、サッと火を通す。他の野菜と時間差で投入するのは、シャキッとした食感を残すため。
手際よい仕事が美味を生む。ラードが溶け込んだスープを少し残しておくのも忘れずに。
そこからが目を見張った。鍋の中の食材を丼に上げると、エビ、かまぼこと竹輪だけをスープでサッと煮込み、丼に移す。
それからあらかじめ湯通ししてあるキクラゲを具材の上に乗せる。その後、豚肉だけをスープで軽く煮て、丼の上へ。ネギを盛り付け、残っていたスープを丼に注ぎ、最後に胡椒を振りかけてできあがり。これでもそこそこ調理工程を端折っているが、工程が実に細かい!
これぞ段取り力!使う食材を1人前ずつ、あらかじめ小皿に移している。
「手間暇かけ過ぎじゃないですか!?」
「そうやろ。それぞれの具材で、火を通したい加減が異なるけん、全部、別工程にしよるんよ」
「一般的なちゃんぽんの作り方なら、一気にまとめて炒めたり煮たりするところを、細かく段階を経て調理するんですね。これは真似したくても真似できないでしょうね」
「そんなに大変やろうかね。これしか知らんけん、当たり前と思いよったよ」
ちゃんぽんの完成! 起承転結ある調理工程はまるで映画のようで見応え十分だった。
「そういえば、古賀さんはそもそも、食堂に入る前は何をされていたんですか」
「漁師たい。有明海で海苔ば採りよった。料理なんて全くしたことがなかったよ。妻と結婚してから、漁に出られん日とかは加勢して、それで覚えたったい」
実際に食べてみたちゃんぽんは、まずスープを飲んでみて感激。例の“2度炊き”によっていりこのクドさが出るのかもと思っていたが、そんな予想は軽やかに裏切られ、すいすい飲めてしまう滋味深い味わい。出汁の存在感はもちろん、丁寧に調理を重ねていった食材のエキスが絶妙に合わさっていて、その味わいに奥行きを出している。
通常でも見た目が豪華だが、大盛りになると具材が倍増するため、さらに華やかかつ豪快に。
このスープがたまらない! 思わず目を閉じ、踊っていたイリコに思いを馳せる。
野菜や肉といった具材の火入れも、さすがに別調理していっただけあり、とても良い具合だ。麺を啜れば、こちらもほどよくコシがあり、しなやかな食感。煮込み料理ともいえるちゃんぽんだが、その中でキラリと光る存在感を見せていた。
同じ出汁を使ううどんも食べてみると、ちゃんぽんのスープとは当然ながら別物。
確かにちゃんぽんと共通の出汁ではあるが、ラード、具材のエキスが加わらないうどんのつゆは、2度炊きによって生まれた出汁の力強さと、醤油の味わいが主張。なるほど、これもまた、老舗の貫禄を伝える一杯だった。
「うどんも美味しいですが、ちゃんぽんに感激しました。手が込んでいるだけあり、絶品でしたね」
「嬉しかねえ。そうやって『美味しい』『また来るよ』と言ってもらえるのが何よりの幸せやね」
「この味わいは初代の頃から変わらないんですか」
「全く変わらん。正しく言うと、変えられんのよね」
「変えられない?」
「忠実に作ることしか考えとらん。おじいちゃんに連れられて来ていた子供が成人しているなんてザラやけんね。そんなお客さんたちはみーんな、この店の味を好いとる。俺の味じゃないんよ。店の味。俺が結婚する前から通っていたお客さんもいて、そんなみなさんは俺よりも喜よし食堂歴が長かとよ」
「みなさんの舌に記憶された味を期待して来店されている、ということですね」
「今日だけやないけんね商売というのは。また来てもらわんと店は続いていかんやろ。積み重ねしかなかよ。期待に応え続けていかんとね。やけん、誤解を恐れずに言うなら、もっと美味しくしたいというような気持ちは一切ない。現状維持しか考えとらん。こういうとネガティブに聞こえるかもしれんけどね」
「お客さんがそれを求めていない、ということですね。劇的に美味しくなってもダメ。もちろん不味くなってもダメ。いつもの味が、ただ、ここに在り続ける。それって実はとても難しいことなのかもしれないなあ」
続けることの大切さ、期待に応えることの重み、古賀さんの一言一言が心の奥深くに響く。気になる跡取りのことを聞いてみた。
「続けていくためには後継者が必要ですね」
「そうなんよ。実は瀬高町のほうで、娘が同じ屋号で店をしよると。2015年の年末に開業したから、丸3年経ったね。向こうで少しずつやけど、常連さんも増えているみたいで、嬉しく思っとるよ」
自身の夢を娘さんが叶えてくれたなんて。良い話すぎる。ちなみにこの後、古賀さんはこの笑顔でパチンコへと出掛けた。
「それは頼もしいですね!」
「ダメやったら戻ってくれば良かし、納得いくまでやってほしかね。料理に関してはうちと全く同じ調理法やけん、美味かと思うよ。本当は俺自身、外に出てみたいという思いがあったんよね」
「他の場所にも店を出すということですか」
「そうそう。なんて言うのかな、うちのこの味が、どんな評価をされるか、知りたかったっちゃん」
「娘さんが古賀さんの夢を叶えてくれたわけですね。では、いずれ、こちらの店も娘さんが引き継ぐことになるんですか」
「それはまだ何とも言えんよね。向こうは向こうで頑張っとるし。こちらはこちらでやれることを続けていくだけかな。まだまだ母ちゃんも元気やしな」
そう言って古賀さんが紹介してくれたのが実母・トセ子さん。なんと御年90歳だが、背筋はピンと張っていて、受け答えの言葉もハキハキとしている。ちょっとお話を聞かせてもらおうと、着席を促したが「立っとるほうが楽たい」と言うほど、元気そのものだ。
身のこなしもしゃんしゃんしているトセ子さん。年齢を全く感じさせない。元気の秘訣は日々身体を動かし、こうして誰かと話し、大いに笑うことのようだ。
「元々、母ちゃんも海苔漁師をしよったけん、まあ、足腰は丈夫たい。今でも近くの配達は母ちゃんが自転車に乗って、行ってくれよるんよ。岡持ちに丼が最大4つ入るけん、それくらいの重さまでは大丈夫かな」
「本当に90歳なんですか! 信じられないパワーですね」
「こうやって一緒に働くのが良かとやなか。お客さんと会話したり、体を動かして配達に出掛けたり、そうやってると呆けんよ。家でじーっとしとるほうが、かえって良うなか」
岡持ちを積んでもぐらりともしない安定感。トセ子さん、お見事!
現在、柳川の「喜よし食堂」は古賀さん、トセ子さん、そしてもう一人のパートさんの3人体制が基本になっている。古賀さんも69歳とのこと。「体は年々しんどくなりよる」と言いながらも、営業時間を11:00〜14:00頃という1日3時間程度に留めつつ、無理なく、力まず、この店の味を求めるお客のために、今日も“いつものちゃんぽん”をひたむきに作り続けている。
絶メシ店によっては、日によって営業時間が前後したり、定休日以外もお休みしたりすることもございます。
そんな時でも温かく見守っていただき、また別の機会に足をお運びいただけますと幸いです。