「うわー!めちゃくちゃ広いですね!店内の客席からすると、バランスがちょっとおかしくないですか。客席1に対して厨房が9くらいありますよ」
有明町 | |
幸楽 |
柳川市の南の果て――いつからかそう呼ばれるような場所に「幸楽(こうらく)」はあった。辺りを見渡せば、視界に入るのは田畑、ビニールハウス、水路。空が広く感じられ、その空を映し出す有明海がちょっと行った先に待っている。「『あんたこんな場所でよう商売なんてはじめんさるなあ』、ご近所さんにそげん言われたみたいですね、初代は」と苦笑いした二代目・古賀正孝。ふと見上げれば、看板にお食事処、会席、鉢盛、仕出し、精進料理、大小宴会という具合に、読めば読むほど頭の上に「?」という疑問符が浮かぶ。もうこれは扉の先へ進んでみるしかない。
取材/絶メシ調査隊 ライター/山田祐一郎(KIJI)
住宅街と田畑が広がる地域にぽつんと佇む。まさかこんなところに飲食店があるとは思えなかった。
看板にズーム。情報が多すぎて本当に何屋なのかわからない良い意味でのカオス。
あれだけ看板にいろいろと謳ってあったのに、店に入ると、驚くほど席数が少ないことに驚いた。4人掛けのテーブルが2つあり、小上がりにも同じく4人掛けのテーブルが2つ。マックス16人という店舗規模だ。「はーい、いらっしゃーい」とよく通る明るい声が聞こえたので、そちらを見ると女将さんらしき方が立っていた。
「どこでもどうぞ」と気さくに案内され、テーブルには子連れの女性がいたので、小上がりに腰掛ける。すぐにその女性は店主ご夫婦の娘さんで、離乳食をむしゃむしゃとご機嫌に食べていたのがお孫さんだと分かった。時計の時刻はランチタイムがちょうど終わった13:30。今、この瞬間、ここは完全なるアットホームな空気が支配していて、なんだろう、まだ何も食べていないのに、驚くほど満たされている自分がいる。
実は現店主の奥さんではなく、初代の奥様だった。お若くて笑顔が素敵!
品書きもシンプルで好感が持てる。
メニューに目をやると、片方の面にはちゃんぽんを筆頭にした麺類と野菜炒めなどの一品もの、そして裏面には焼きめしやオムライス、カツ丼といったごはん類が記載されている。この段階で2つのことが分かった。一つがメニューの大半が600円前後とかなり安めな価格設定であること。もう一つが、和洋中なラインナップであること。うーむ、参ったなあ、ヌードルライターとしては麺一択なのだが、他が気になり過ぎる。真剣に悩むぼくを見兼ね、古賀さんは「もう営業も落ち着いたし、ちょっと調理場、見ます?」と助け船を出してくれた。
カモン!って言っているわけではないが、とても気さくに厨房へと誘ってくれた。
「え、いいんですか?」と二つ返事で、いざ厨房拝見。
こちらが厨房。
「うわー!めちゃくちゃ広いですね!店内の客席からすると、バランスがちょっとおかしくないですか。客席1に対して厨房が9くらいありますよ」
「はっはっは、確かにさっきの店内からすると広過ぎるかもわからんね。ばってん、これぐらい必要なんよ。うちは仕出し、宴会といった大人数を相手にすることも多かけん。出前もやっとるしね」
「そうか、そうでした。看板に列記されていましたね」
「さっきの場所は予約なしでふらりと立ち寄れる食堂スペースよ。それとは他に別棟もあってね、そっちは要予約で最大90人まで対応しとる」
「なんと、90人ですか。それは確かにこれくらいの規模は要りそうですね。あれ、よく見ると、キッチンの動線がきれいに真横になっていますよ」
「山田さんから見て左がカツ丼や玉子丼といった丼物のセクション。ここは今日は息子が担当しとります。そして中央がちゃんぽん、皿うどんといった麺類のセクションで、今日は私が担当。そして右手は本日は妻が担当しているオムライスや焼きめしといったセクションになっとるんよ。お昼は戦場やけんね。地域柄、早く食べたいという方が多くて、それはもうやおなか(大変)。それはもうせっかちよ。お客さんがすぐ怒り出すけん手分けしてせやんと」
お客さんの気の短さぶりを力説するあまり拳に力が入った模様。ファイティングポーズをとっているわけではない。
今も現役で大活躍中の岡持ち。
ちなみに出前時にはこうやってラップに包んで運ぶ。古賀さん曰く「昔はラップなんて便利なもんはなかったでしょが。この辺は田舎道で凸凹しとったから、出前でチャンポンを持っていくと、スープが無くなっとった、なんてこともあったんよ」と豪快に笑った。ん、笑い事じゃないような気が・・・
なるほど、せっかちなお客さんがあってこそ、調理場も鍛われるということか。そう納得したところで、古賀さんから何を食べたいのか促された。この日、取材班はぼく、カメラマン、ディレクターの3人。ということで、3セクションからそれぞれイチオシの料理を作ってもらうことにした。
息子さんのセクションからはカツ丼、古賀さんのセクションからはチャンポン、奥さんのセクションからオムライスをオーダー。まずは息子さんが腕前を披露してくれた。実はこの息子さん、福岡の和食の名店で修業を積んでいたという経歴の持ち主。まだ27歳という若さながら、調理が始まると、ピリッとした空気が流れ、先ほどまでの柔和な表情が一変する。
「うちのカツ丼はカツをとじんのですよね。ご飯の上に揚げたてのトンカツを乗せ、その上に火を入れたふわふわの溶き卵をかぶせて完成です」
「え、オーダーごとにトンカツ揚げるんですか?」
「えらい大変なんですけどね。ぼくは三代目なんですが、ずっとこのやり方なので、簡単には変えられんですよね。ちなみに肉は国産豚のロースです。やや厚めに切ってるんでボリュームありますよ」
「そして、この丼つゆ、すごく美味しそう」
「昆布、鰹節、イリコなどでとった出汁に地元の醤油を合わせ、熟成させたものを使っています。我が家の秘伝の味なので、(ちらりと父を見て)これ以上は言えません(笑)」
「え、そこなんとかって?だからダメですって」と苦笑いする若大将。
あっという間にカツ丼を完成させる息子さん。さすが和食店で鍛えてもらっただけあり、手際がいい。
「肉も、醤油も、そして野菜も、原材料は地元から仕入れとるんです。全員、顔も、なんなら住んでいるところも知っとる仲ですから、品質に間違いはなかですね。この幸楽は昭和41年の創業やけど、その当時からこのやり方はいっちょん変わっとらん」
「周りはみーんな知り合いたい」
「もう半世紀なんですね。そうなると、その八百屋や肉屋のみなさんにおいても、後継問題に直面していそう」
「ちもそうやけど、それが不思議なことに、どこも二代目、三代目というように跡取りがちゃんとおるんです。どこも商売に対してとても真面目で、だからうちもずーっと使っているわけなんですが、そういう店やからこそ、きっと後継ぎが親父たちの背中を見て、継ぎたいと思うんでしょうね」
親父の背中、見てますよ。
完成したカツ丼はまさにドラマティック。揚げたてサックサクの衣に、旨味のエキスをたっぷり蓄えた厚みのある肉が包まれたトンカツがもはや一つの料理として成立していた。
その上に覆い被さる玉子はまるで羽毛布団のような軽やかさ。それでいてトロフワの食感もしっかり存在していて、サクジュワとろふわという極上カルテット。ご飯もしっかり米が立っていたし、言うことなしだった。
見てくださいよ、この肉の分厚さ。
「ぼちぼちこっちも作り始めましょうか。うちのチャンポンの特徴かあ。やったらスープかなあ。山田さん、ちょっとこっちに来んですか。ほら、この羽釜ば見てくださいよ。どうです、よかスープでしょ。スープという土台がしっかりしていないと全てが台無しになるけんが、ここには神経使っとりますよ。ベースは豚骨。これを羽釜でぐらぐらと炊き込む。そして完成したのがこれ、この純豚骨スープね。こげんして、まず強か火で野菜や肉、魚介を中華鍋で炒め、そして頃合いでスープを入れて一気に煮立たせるんよ。ほら、グラグラしよるでしょ、この火力を保ったまま、最終的に麺を加えて煮込むんです。え、ポイント? 全部ちゃ全部やけど、キャベツとモヤシかなあ。これね、食感がクタッとなるといっちょん美味しくなかと。やけん野菜の投入は時間差。後半にキャベツとモヤシを入れ、野菜という一括りの中にも緩急をつけて、ドラマティックに、ね。そうそう、この麺も地元の協和製麺さんのところのもんですよ。この麺じゃなからんと、別物になるけんね。この野菜たちも・・・」
作るスピードもとにかく手際が良くてリズミカルだが、それに勝るとも劣らない古賀さんの流暢な喋りにも驚愕。手をこれだけ動かしながら、どれだけ脳が動いているんだと感心していたら、先ほどの続きが始まった。
スープは毎日、当日分を朝一番で仕込む。
ずーっと強火のまま、調理がリズミカルに進んでいく。
「野菜の量、どうです、かなり多かでしょ。うちは先代の頃から昭和の古き良き味、そしてボリューム感を大切にしてきた。この2つがうちのモットーみたいなもんですね。野菜だっていちいち量らんですよ。こうやって握って、一掴みがどれくらいっていうのが体に刻まれとって。今日はこんなセクションですが、3人が3人とも全てのパートを担当できるんで、その時々で入れ替わっとります。全員ができるというのは強みで、オーダーに偏りがあって、今日はカツ丼の日だという時は手が空いている人間がサポートに回れる。そげんして総力戦で切り盛りしています。あ、このコショウも特徴かいな。ちゃんぽんに最初からかけている理由というのも、お客さんから一刻も早く食べたいという声が多いからですね。運ばれたらすぐに食べたい。だからコショウもかけとく。だんだん、この地域のことが分かってきたでしょ(笑)」
できあがったチャンポンを丼に盛り付けながら、さーっと一通り説明まで終えてしまった古賀さんはまさに無双状態。時代が時代なら一騎当千の武人である。
古賀さんに促され、奥さんがオムライスを作り出す。するとどうだろう。その仕事の細やかさに目を見張った。
絵に描いたような食欲をそそるビジュアル
「ご飯の火入れ、丁寧ですね! こうやって少しずつご飯を切りながら、押し付けつつ炒めているんですか」
「そうなんよ。これをちゃんとしとかんと、幸楽のオムライスにならないんです。これも先代からのレシピそのまんまですよ。父は大阪で調理の勉強をして、それで地元に戻って、この場所で幸楽を開業したんです」
「創業された昭和41年といったらいざなぎ景気の頃ですよね。たしかに、そんな時代だと、贅沢な味わいを求めるのかもしれませんね。トンカツの肉は分厚いし、チャンポンはゲソまで入って野菜もてんこ盛り、オムライスも見てると肉が結構大きめだし、ケチャップはもちろん、玉子もたっぷり使っているし、どれも一般的には素朴な料理なんでしょうけど、とても心が揺さぶられます」
完成。でかい!
「そうやって幸楽らしい味を作り、守っとるけんが、他では替えが利かんとですよ。昔食べていた学生さんが故郷に帰ってきて真っ先に寄ってくれる。嬉しかですよね」
「まさに地域の味、ソウルフードになっているんだなあ」
食べる前からすでに満足感がにじみ出ている俺。
すぐにスイッチが入り、食べる、食べる。
チャンポンとオムライスも実食。チャンポンはやはりスープが秀逸だった。グラグラと煮立たせたスープに閉じ込められた具材のエキスがコクとなり、味わいに奥行きを出している。それは平坦ではなく、実に立体的な美味。スープを飲んでいるにも関わらず、思わず噛み締めたくなる。それほど素材が生きたスープだった。
野菜の食感には緩急があり、咀嚼がドライブする。600円という価格に対し、原価の高い豚肉やゲソにけち臭さがなく、心の中で思わず手を合わせ、感謝の気持ちを繰り返した。後半はもはや祈りだった。一生ついていこうと思える、そんな味だ。
オムライスはやや汁気のあるご飯が秀逸。パラっとではなく、ケチャップのみずみずしさがこの一皿における豊さを雄弁に物語っていた。十二分な量の脂で炒められたチキンライスだけでも大満足。そんなチキンライスを包んだ玉子もまた、トンカツのロース肉同様、厚みがあり、その佇まいはいかにもふくよか。
地域と密接につながり、その関係性の中で成り立っている幸楽の料理たち。パズルのようだと思った。1ピースで欠けてしまうと完成しない。この地域における幸楽は、社交場であり、食堂であり、酒宴の場。幸楽がなくなると、それら全てが、この町から失われてしまうということを意味する。それは幸楽だけでなく、この地域の八百屋や肉屋だってそう。
「そう考えると、おいそれと暖簾を下ろすことはできませんね」
「地域で助け合っていけばよかけんね。今も昔も、それに尽きる。幸い、うちにも跡取りがいますから、その考え、気持ちを大切にしていってほしいと願っとりますよ」
「これからの未来に向けて目標のようなものはあるんでしょうか」
「店と料理、二つの側面がある」
「二つですか。それぞれどういうことですか」
「店については、やはり地域の中で生かされているということを忘れずに、遠方のお客様を集客するというような新規顧客の開拓よりも、第一に地域のために力を尽くすことですかね」
高座まで設けてある宴会場。襖で区切れた広い二間を繋げれば最大90人まで収容可能。もちろん、数人から対応できるので、まずは相談のお電話を。
「料理については」
「ここは有明海に近いので、地元・有明の魚介や珍味を取り入れ、この地域ならではの味を追求していくこと。そのためには冠婚葬祭から普段のちょっとした飲みごとまで、酒宴に今まで以上に力を入れたいと思っとります。せっかく息子が良いところで修業を積んでその技術と経験があるんやから、その本領が発揮できる宴会料理に可能性を感じるよね。今は私の代。やけども、息子の代になった際には“ニュー幸楽”として、この柳川だからこそ表現できる世界を切り拓いてほしかですね」
家族一丸となって幸楽を守っているんだなあと実感。
地元に愛され、地元を愛するという幸楽の歩み方は、情報にまみれ、次から次へと新しいものへと目移りしてきたぼくにとって眩しいものだった。まだ見ぬニュー幸楽の未来にも心が踊る自分がいる。
絶メシ店によっては、日によって営業時間が前後したり、定休日以外もお休みしたりすることもございます。
そんな時でも温かく見守っていただき、また別の機会に足をお運びいただけますと幸いです。